« NO46 原発事故に向き合うとはどういうことか=2人の科学者の叫び | トップページ | 2012年度自治労全道庁労連(2012年度全道庁)定期大会および業種別評議会等総会並びに女性部・青年部定期大会を開催します »
2011年09月15日 12:53
「反核・反原発・脱原発」
全道庁労連が少なくともこの10年間は毎年採択してきた定期大会のスローガンである。
スローガンの「反核」と「反原発」が、カンマではなく、黒丸のポツでつながっている。これは両者はイコールで等しい、あるいは同じ意味合いがあるのだと理解するしかない。
まず、「反核」とは一体どういう意味が込められているのだろう。
ミサイルはじめ核兵器の使用禁止そして廃絶がある。そこには「ノー・モア・ヒロシマ・ナガサキ」という原点もあるだろう。
「核と人類の共存はない」というのは戦後原水禁運動のスローガンだった。
一方、「反原発」「脱原発」の運動とはなんであろうか。道内では80年代、激しくたたかわれた泊原発建設反対闘争があった。しかし88年に道民投票条例が僅差で否決され、泊1号機が営業運転を開始する。もう20年以上経過する。
「反原発」「脱原発」運動はかつての盛り上がりを回復していない。運動は次第に「反」から「脱」へと移行する。段階的に廃炉にし、自然エネルギーへの転換を求める。イラク戦争反対や毎年の原水禁集会には参加するが、「原発の安全」を疑うような日常性は薄らいでいった。
唯一の被爆国であるのになぜ日本に原発が入り込んできたのか。そもそもは米国のアイゼンハワー大統領の「平和利用演説」だとされる。当時の読売新聞社主の正力松太郎氏、中曽根康弘衆議院議員、ノーベル化学賞受賞の湯川秀樹(後に脱会)などが名を連ね「原子力の平和利用」が強調されていく。やがて国家予算に計上される。
原子力を戦争目的で使うことは反対だが、エネルギーとして平和目的で使うことには反対しない。こうした使い分けが原発推進の根底にあった。被爆したからこそ平和利用に徹するのだ、という一見矛盾に思える割り切りである。
しかし、3月11日の福島原発の事故は、原爆による「被爆」も原発の「被曝」も「爆」と「曝」が違うだけで、放射能による人間破壊、その健康被害が子々孫々にまで及ぶ点で全く同質性を持つ。このことがフクシマが教えていることなのだ。
「原子力ムラ」に象徴される、政、官、財そして学、報(道)さらに労(組)をも巻き込みながらの原発推進派は、あらゆる「脱原発」の動きを封じ込めようとしている。菅直人前首相が浜岡を停止した時には目に見えない圧力を感じたという。鉢呂前経産相の辞任問題もこうした系譜で捉えておくことが必要だろう。
政治の現状を嘆いていても「脱原発」運動は前に進まない。署名でもデモでもまずは体を動かすことである。
(政策情報室 AI)